ゆらゆらとぷかぷかと流れていこう

人間と自然、関わる割合を半々ぐらいにしたいな。
遠くの景色を眺めているとき、そう思った。

午後の授業をサボり、近くの山を登りに行く。
何かを振り落とすように、駆け足で頂上を目指す。
息が切れ、汗がふきだしてくる。
時折、木々の切れ間をぬって吹く風が、火照った体を冷やす。

景色が一望できるところまで来て、一息をつく。
そして、ぼーっと遠くを眺める。
眼下には、湖をたたえたこじんまりとした谷。
その先には小さな山が連なり、その奥にはビル群が見える。
さらにその先には、白いような黒いような、波立つ日本海がある。

人の悩みのほとんどは人間関係だと、本で読んだことがある。
実際そんな気がする。
地球上になぜこれほどまでに人間がいるんだ。
多すぎやしないか。
と、自分もその中の1人なのに、そう思うときがある。

誰かと一緒に居たいときもあれば、
ひとりにさせてくれというときもある。

幸い、森や川や山へ歩きに行く習慣があるので、
ひとりになりたいときは、そこへ行けばいい。

ようはバランスだ。ゆらぎだ。流れだ。
エネルギーの発散と吸収だ。
疲労と回復だ。
吸って吐くことだ。

留まり、偏り、固まるといけない。
みずみずしいなにかが、枯れていってしまう。
本来の輝きを失い、汚れ、腐り、臭いにおいを放つようになる。
周りにも影響していく。

行きつけのマッサージ師がいる。
3,4か月に一度くらいの頻度で通っている。
ああもうどうしても自分だけでは疲労が抜けない、というときに行く。

60分コースで、特にほぐしてもらいたいところを伝えて、重点的にやってもらう。
前半は近況報告や、世間話をお互いにして、ああそうですよね、そんなこともあるんですねと、共感し気づきを得る。
その距離感が心地よい。
気づいたら60分以上経っている。
心も体もスッキリして、また歩き始めることができる。

ここ数年から、日々の暮らしで、人に頼るということができるようになった。
弱さや未熟さをさらけ出せるようになった。
なにかを振り切るように、毎日のように歩きに出かけていた頃は、ひとりで溜め込んで、ために溜め込んで、ダムが決壊するように、遠くのどこかへポーンとなにもかもを投げ出して飛んで行ってしまうようなことがあった。
そんな時は、一時的にスッキリするものの、もやもやしたものが消えることはない。

仏陀も言っているように、生きていることは苦悩の連続のように思う。
外部から降りかかってくることも、自分から進んで背負いこんでいるものもある。
完全にスッキリすることはないのだろう。生きているのだからなにかは起こる。
自分の前に立ち現れるものに、立ち向かって徹底抗戦してもいいけど、非常に疲れる。
どこまでも逃げていいけど、どこまでも追いかけてくる事柄もある。

だから、しんどいねと理解することから始める。
そして、そのしんどさを解決するにはどうしたらよいかを考える。
まったく考えず棚上げするというのも一つの手。
逃げるのも手。
違う方向を見て、じゃあ自分が心地よいと感じるものは何かと探すのも手。

しんどさも抱えながら、心地よさも手に入れる。
こういうバランスのとり方もある。

流していこう。流れていこう。ゆらいでいこう。

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この記事を書いた人

Hikers Guild の代表です。
自然の中を歩くことを何よりも愛しています。
歩くことの可能性をすこしでもお伝えできたらと、
そう思いこのサイトを運営しています。

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