それぞれの立場と見方と記憶

流木には歴史がつまっている

この前、湖畔キャンプをした。毎回行くまでは腰が重たいのに、行ってみればどこ吹く風で、夜が更けるまで焚き火を囲み、団欒してしまう。風が吹くと寒いし、持っていった薪もすぐ使い切ってしまうから、新しい薪を探しに行かなければならないし、火を絶やさぬよう目を常に見守っていないといけない。薪割りは骨が折れる。アルミホイルに包んだじゃがいもやらなんやらは、火加減を間違えるとすぐ焦げる。火の粉はその時の気分であっちにいったり、こっちに舞って来たりと自由気ままだ。家に帰った後の部屋は焚き火の煙の匂いが充満して、なかなかとれない。でもそれが良い。この面倒臭さが良い。メスティンで炊いた米はうまかった。じゃがいもも美味かった。お茶もコーヒーも旨かった。マシュマロはとろけた。曲を聴き、唄を歌った。これぞ休日。そんな時間を堪能していて、そろそろお開きかとなった時、一緒にいた友人の一人にLINEが届いた。今まで微笑んでいた彼の表情が急に暗くなった。今目の前にある湖は今年の夏、溺れかけた子供を助けようとした男性が溺れて亡くなってしまった場所でもあったのだ。その事実を知る前と後では、僕らのキャンプの雰囲気は全く変わってしまった。今まで見ていた景色も全く違うものとして見えるようになった。さっきこの近くまで来た女性は、ソロキャンプではなく、弔いのために来ていたのかもしれない。湖で長い間水切りをしていた男性は、故人との思い出に浸っていたのかもしれない。無邪気に遊んで、ガハハと笑っていた僕らは、彼らからどんな風に見られていたのだろうか。罪悪感を感じ、場違いである感じがし、どうしようもない申し訳無さを感じた。もしそのことを知っていたら、キャンプをしただろうか。野に、山に、荒野に、何度も、何日も出かけてきた僕は、知らないで過ごしてきたこと、知らぬがゆえに無邪気に楽しめたことがたくさんあるのだろう。ある人にとって美しく、心癒される景色は、またある人にとっては悲しく、つらい出来事の記憶を呼び起こす景色でもある。その事実を突きつけられた瞬間だった。そこにどんな、人と土地の歴史があったのか。流れる川や紅葉する木々は教えてくれない。人は人と生きている。立場の異なる人間がこの世界に何十億と生活している。相手の立場になって考えることはそんな簡単なことではない。そうなのだけれど、考えることを放棄したくはない。燃え残った炭に水をかけ、彼の冥福を祈り、僕らは帰路に着いた。

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この記事を書いた人

Hikers Guild の代表です。
自然の中を歩くことを何よりも愛しています。
歩くことの可能性をすこしでもお伝えできたらと、
そう思いこのサイトを運営しています。

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